大判例

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東京高等裁判所 昭和30年(う)2846号 判決

被告人 柳沢末子

〔抄 録〕

本件起訴状の論旨に指摘するような記載のあることは所論のとおりであるが、これは本件犯罪の動機を記載したに過ぎず、何等事件につき裁判官に予断を生ぜしめる虞があるとは認められない。故に本件公訴の提起は刑事訴訟法第二百五十六条の規定に違反するものではない。

次に原判決が事実認定の証拠とした被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書は、いずれも記録に徴し所論のように経験則を無視したものではなく、適法な証拠能力を有するものと認められるから、これを証拠として採用した原判決の訴訟手続には何等採証の法則に違反する点はない。また原判決は被告人の司法警察員及び検察官に対する自白の外挙示の各証拠を補強証拠として判示事実を認定したのであつて、被告人の自白のみを唯一の証拠として被告人を有罪としたものではない。

次に原判決は本件の動機として「昭和二十九年十一月二十七日朝前記診療所の受診者の受付事務に当つていた際、人前で右床枝から殊更に受診者に不利益な取扱をすると云わぬばかりの言辞を浴せられ」と認定しており、右は金子愛子が診療を受けにきた際、同人に健康保険証の有無を尋ねたことに端を発し、被告人と床枝栄との間に面白からざる応答があつた事実を指す趣旨と解せられることは所論のとおりである。そして右の日時に関し挙示の証拠中被告人の検察官に対する供述調書には十一月二十七日とあり、証人床枝栄の原審公判廷の供述によると十一月二十九日となつており、一つの事実に関し異なる証拠が羅列されているのであるが、判決の理由にくいちがいがあるというのは、例えば犯罪事実相互の間または犯罪事実と証拠との間にくいちがいがあるような場合をいうのであつて、或る事実に関し異なる証拠が数個存し、その一方を採用すれば判示事実が認められるが、他の証拠を採用すれば判示事実が認められないというような場合は、裁判所は判示事実に副う証拠を採用し、他の証拠は採用しなかつたものと認めるのが相当であり、従つてこの場合事実認定の当否即ち事実誤認の有無の問題が起ることはあつても判決の理由にくいちがいがある場合には該らない。本件において右犯罪の動機に関する日時について、原判決は被告人の検察官に対する供述調書の記録を採用したものと思料されるから、原判決の理由にくいちがいがあるということはできない。(右日時の認定の当否については後に判断する)

原判決挙示の証拠を綜合すると原判示事実は十一月二十七日朝とあるを十一月二十九日午前十一時頃と訂正する外すべて優にこれを認めることができる。右日時は被告人が原判示診療所において受診者の受付事務に当つていた際、人前で床枝栄から殊更に受診者に不利益な取扱をすると云わぬばかりの言辞を浴せられ甚だしく自尊心を傷けられ、日頃同人に対し懐いていた悪感情が俄かに昂じ、むしろこの際同人を毒殺すべく決意し、原判示の如く床枝の菓子箱内にあつた風邪薬二包を取り出しこれに硝酸ストリキニーネ一・五瓦位混入して同人の服用を図つた日時であつて、いわゆる犯罪の実行に着手した日時であるから、原判決は犯罪の日時に関する事実の認定を誤つたものといわなければならない。しかし右日時の誤認は公訴事実の同一性を害するものではなく、判決に影響を及ぼすことが明らかなものではない。また証人床枝栄の原審公判廷の供述中に論旨の指摘する如く、被告人は自分より年令こそ若いがとても気が強く頭がよくて口論になると何時でも云いまくられるので自分は口を閉ぢて仕舞うという部分があつて、これと原判決が本件の動機として示したような事情を併せ考えた場合に、床枝が被告人を不利益な地位に陥れようと企てることがないとはいえないであろうが、一面被告人において床枝の殺害を決意することがあり得ないものでもないのであつて、殺人の動機として必ずしも薄弱であるということはできない。論旨は床枝が被告人を排除する目的で他殺を偽装し自ら服毒したものであるとか、事務長田村龍男の所為と疑うべき相当の事由があると主張するが、記録を精査し当審における事実審理の結果に徴してもかかる事実は認められない。

(大塚 渡辺辰 江碕)

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